2010/09/30

教員採用試験に向けて

2012年度教員採用試験まで1年もなくなってしまった今日この頃.
理学部ということもあってか,学部卒で教員に本気でなろうとしているオーラ全開の人が少ない.
そんなこんなで,すっかり採用試験対策のスタートを切り遅れてしまった感があります.

というのも,書店に行って採用試験対策の月刊誌を見に行ったら,すっかりもう2号目,
3号目に入っているではありませんか.

しかも気に入った方のはバックナンバーが生協書籍部になかった.
気に入らなかった方はバックナンバーがあったので,そっちを初回号だけ購入.
内容はそこまで大きく変わらないだろうので,気にしないことにする.
しかも,気に入らないというのは,表紙のデザインと中の紙質なので1冊ぐらいならいいことにする.


なんかいろいろ,講座とかもあるみたいだけど,もともと塾とかその系は好きじゃないので,
お金も結構かかるしということで,その辺はパス.

いざとなれば,母校の先生方のお力をお借りしちゃうさ.なんて思ったり.





来年度の僕らの戦いが始まったかと思えば,今年受験している人たちは,
2次試験という時期みたいで,表紙が気に入らなかった方の月刊誌(教員養成セミナー)には
面接ファイナルチェックなる記事も載ってた.


直前にうだうだしても,ぼろが出るので,これから日々一つずつ考えて行ってみようと思う.
そうすれば,このblogも一日一記事は更新されるようになったりして.....







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2010/09/28

特別講義5-生態環境ダイナミクスを探る・操る・創る

もうすぐ10月ということで,夏休みも終わっていよいよ2学期.
通常授業は,1日からですが,昨日・今日で高木先生(北陸先端科学技術大学院大学・教授)
による特別講義があったのです.
たまには,こんなネタも書いてみないと,理学部生物科の学生だと信じられないと
思われるので....笑 

一応,シラバス上での表題は,「生態環境ダイナミクスを探る・操る・創る」.
といいつつも,表題と内容が???な講義はよくあるのであまり気にしないことにしてたら,
やっぱり今回も,ちょっと表題からは外れた気が僕はした.
でも,内容としてはこれまでに習ったことをいろいろ復習できたり,教科書にあること以外での
現象としてそれらのことを見られたりしたので結構おもしろかった.
「生物学」の始まりについて,自分の中での生物学の興味の始まりと生命の始まりということを
再認識させてくれるいい機会もいただけた.

再認識をさせていただけたのは,主に講義全体の出発部分(第一部とでも言おうか).
といことで,そこだけちょっとメモっとこう.


第一部 生命の起源について考える-合成生物学の進展

「生物学とは?」という問いに始まり.「なぜ,生物学科にいるのか」,「最初の生物は?」など
生物学をこれからも専門として進んでいくための土台になるようなことについて,改めて考える
時間となりました.

生物学とは
様々な生物種に共通している部分(一様性)とそれぞれに異なっている部分(多様性)を
通して,生物とは何かを考える学問.

一様性と多様性という相反する概念をぶつけ合うことによって,生物とはなんぞやという
問いへの答えを探すのだ(弁証法による考え方ですなー).

なぜ,自分は生物学をやっているのか/生物学科にいるのか
高木先生は,コドン表に魅せられてしまったというのが一つの原因とのこと.
よくよく考えれば,確かにつっつきがいも,考えようもいろいろある気がする.
20個のアミノ酸のために64個のコードなんて無駄だよね.でも無駄が大事だったりする.

よく考えて,思い出してみてということだったので...僕の場合は....
小5の宿泊学習で,近くの池の水を汲んできて,顕微鏡でのぞいたらば,そこには
いろんな形をしたプランクトンがいるではありませんか!
もう,万華鏡をのぞいてる時のような,神秘的な気分を味わった.

それから,目ではパットは見えないようなサイズの生物たちに興味を.
単細胞がいればちっさくたって多細胞のやつも.
単細胞のやつも,仲間とタッグを組んで環境の変化と戦ったり
もう,知れば知るほどやつらはおもしろいのですよ!

って,感じですね.はい,ちっちゃい子たちに魅了されてしまったのです.


最初の生物は?
生命は自然発生しないというのは,代表的な実験として,パスツールの実験があり,
これによって否定されているが.....

最初の生物は,原始地球の上で,何らかの化学反応の連鎖によって,生まれたとか
いう説もある.
この説が証明されるところになれば,自然発生することになるねー.....
これについては,レポート課題に案にこれの話かというのがあるので,レポート書いてから
ちょこっと,こっちにも書くことにします.





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2010/09/22

【過去記事】効率のよい勉強法

2008.08.12(大学1年の夏)にその頃書いていたblogに僕が書いた記事.
「効率の良い勉強」はどうしたらできるのか.勉強の相談に乗っているとこんな質問に出会うことが多い.そして,この言葉を発するのは大抵一生懸命勉強してない輩….そもそも「効率の良い勉強」とかいうワードがそもそも大嫌いな僕に取って,一生懸命やってもいない奴からそんな言葉がでたひにゃー.「馬鹿じゃないの?そんなのないし」と一蹴して,軽蔑の念を抱いて終了だね.
さてさて,世の中にはいくつもの「勉強法」と呼ばれるやり方がある.科学的な見地から見ても妥当だと思われる方法から,訳の分からん方法まで.
一度書いたことがあるかもしれないが,僕の登録している家庭教師センターにも一応指導法ってのがあって,その研修とかも新生徒がついたときには必ずある.
これまで2回ほど聞いたわけだけど,確かに間違ったことは言っていないなと思うところは多い.けれども結局は元塾をやっていた人間の考えることだなと言うのが率直な感想.結局根幹のところが抜け落ちてしまっている.残念でならない.どうしても譲れないというか,許せない一言.これについてだけはいつか何とかしてもの申して差し上げようと企てているがなかなかチャンスはない.
「数学は暗記科目なんですよ.」
僕が担当になった最初の教え子の家に顔合わせに行ったときの一言.センター長と出会ってからまだ日のたたないうちの一言だったこともあろうか,いまでも鮮明に覚えている.もしかしたら,一瞬顔に出てしまったのではないかと思うくらいの怒りがこみ上げたが,とりあえず封印.これが良かったのか悪かったのかは……?
確かに,受験の問題というのはある程度パターン化されいて,分類可能であることは間違いない.一様に定式化することができないわけでもない.
ただ,高校受験といったぐらいのレベルで受験テクニックを4月の時点から教え始めるというか,受験テクニック的に教えていくのが良いのか?
確かに,高校受験という一つの壁を乗り越えることはできるであろう.しかし,その先に何が残るのだろうか.高校での勉強,大学受験,大学での勉強,社会へ出ての活躍といったなかで生きてくる力をつけられるのだろうか?
たかが18年しか生きていない,教育についてまだまだ未熟な僕には断言はできない.
ただ,あの言葉を肯定することはどうしてもできない.
家庭教師は受験対策だけをやれば良いのだろうか?
受験のための対策は大手の巨大な母体を持つ予備校・塾の範疇なのではないか?
地方のひとつの家庭教師センターがそのような予備校・塾同じような方法で指導していって良いのだろうか….
答えが見いだせるのはいつになるのだろうか.
そのヒントをこの夏休みにつかめたらいいなというのが今夏休みの一つの目標でもある. 

基本的には,人の話は「んー,そうねー,それもあるねー」とどっちつかずな反応を見せる僕ですが,NGワードとでもいえる,ワードが出ると(上だと「効率のよい勉強」とか「数学は暗記です」),どうもぷっつんきてしまって,心のシャッターが降りるようです.(というのは本題からそれるので置いておいて)


このときから2年経って思うこと.
やっぱり,「生徒の性質に合わせて,各教科の根っこの部分を少しでも見させてあげること」が大切.そう,思います.

先日,短期で新規のカテキョ依頼をもらいました.
そこへ紹介されに行く道中,久々にセンター長と話をしました.彼曰く,途中でやめちゃだめなんだよね-,点数が上がったとか,高校入試は終わったとかでやめちゃうと,大学入試までつながらなかったり,点数が下がっちゃうんだよ.だから,やめさせないようにしてるんだ.
勉強できるつもりになって,やめて,また元の勉強法に戻ってしまってだめになるとも.

至極当たり前なコトだと思った.
センターの方針の通り進めていれば,確かにカテキョがついている間は,成績を伸ばすことができるかもしれない.けれども,上っ面だけをなめるような,勉強しかできていない生徒たちが,カテキョの手から解放されたら,そりゃ,元に戻るさ.どうしていいかすらわからなくなる.

とにかく何でも教わること,指示されること,与えられることになれてしまっているのだから.


経営上のコトを考えると,中学ないし小学校から高校卒業までとどめておけば,顧客の確保には困らない.そんな戦略によるものだとすればまぁ,仕方がない.所詮は営利を目的とした企業なのだから.



全体を変えることはできないかもしれないけれど,せめて自分の担当生徒ぐらいは....
成績を上げることは,当然だけど,それだけなら僕が担当必要はないと思う.
もっと,受験に必死だった人が担当すればいい.

画一化された,指導を望むなら僕を雇わねばいい.

許されるというのなら,十分に保護者と生徒にこちらの意図を伝えた上で,僕だからこその方向で導いて行きたいと思う.


それが,「生徒の性質に合わせて,各教科の根っこの部分を少しでも見させてあげること」.





2010/09/14

教育は誰でも語ることができる

「教育は誰にでも語ることができる」
とある本で読んだか,何かのTVとか講演とかで聞いたかは思い出せないけれど,
自分の中にすごく残っている一節.

日本社会の人々の大多数は義務教育+αの教育を受けてきている.つまり,少なくとも
教育の現場に「生徒」として,身を置いてきたことはあるはず.
教育者の視点とか保護者の視点とかは,人によってはとれない人もいるけれど,
生徒の視点から日本の教育を考えることはできるのだと思う.

自分が受けた教育を振り返ってどう思いますか?
今の社会事情を踏まえて,どんな教育を受けたいと思いますか?
その教育によって育った子供たちが生きる未来はどんなものになりそうですか?

そんなことをちょっと想像することは難くないと思う.
ロジックとか裏付けとなるデータとかにはかけるとかいうことはこの際気にしなくていいと思う.
とにかく,今の日本には「教育」について真剣に考える,教育の専門家でない人たちが大事.


自動車のメカニックじゃなくたって,車にはまっていろいろ改造したり,メンテナンスしたりする.
そして,その愛車について語る.
映画の監督や評論家じゃなくたって,見た映画の感想とか,好きな映画について
熱く語る映画ファンもいる.
スポーツの解説者でもなく,プロだったわけでもない人でも,今のプレーはどうだとか,
最近の○○という選手はあーだこーだと評する.


そういったことと,教育を同じぐらい気軽に語ることが,本当の意味での日本の教育改革に
必要なんじゃないかな?



誰しも,ちょっとぐらいは教育について考えているところはあるのだと思う.
ただ,なかなか話の中で話題に上っていない.しいてあがるといえば,受験勉強の話.


もっと教育の話しませんか?
教育の話の輪を広げてくれる,教育関係者以外の人が日本の教育の未来の一部を担っているのです.

2010/09/10

「16歳の教科書2」を読んで

16歳の教科書2 「勉強」と「仕事」はどこでつながるのか 講談社 2009

ドラゴン桜公式副読本のシリーズ2冊目(?).1冊目の16歳の教科書と3冊目の40歳の教科書は読んでいたが,書店で見逃し続けていたよう.先日,釧路の友人を訪ねたときに寄った書店で発見し,衝動買い.

提出締め切りまであと16時間のレポートが半ばまでしかできていない中,休憩がてら読んだらすっかり読みふけってしまった.


本文から一節を....
大人って自分の頭の中で0点から100点まで,目盛りを決めちゃってるの.そして,相手が100点の答えを出してきたら褒めるんだけど,120点の答えを出してきたら褒めない.どういうわけだか「ちゃんとやれ!」と言ってくる.自分の許容範囲を超えたものを認めようとしないの.  (同書,p32 l10-13) 
他にも,ビビットな一節はいくつかあったけれど,最初の方で出てきたせいか,強く印象に残った一節.


時に,生徒は想定していなかった答えを持ってくることがある.それはテストの問題とか言う狭い範囲だけでの話ではなくて,様々な物事に対することでの話.
教育を行う上で,教育者は一定の到達点を目標にして,生徒に対して何らかのアクションを起こす(あえて何も起こさないというアクションもある).そのアクションへの反応として生徒から帰ってくるアクションに一定の想定を持つ.そして,想定の範囲内もしくは若干の延長線上であれば,しめたものとする.
このとき,生徒が予想外のアクションを起こしたとき,教育者は戸惑い,怒る傾向にある.
今回の一節は,そのことへの警鐘を鳴らされている気がした.


とりあえず,今日はこの辺で.