今回は,「教育失敗学から教育創造学へ」というblogで展開された議論について,
斉藤の思ったことなどを一筆いたします.
冒頭のblogの紹介文は↓.
~教師のコンピテンシーモデルの構築をめざして~ 公立学校に子どもを預け,PTA活動に参加した保護者・指導主事としての行政経験をもつ中学校の現役教師の目から,「本物の覚悟」ができる教師のあり方を考えています。本気で「本物の教師教育」のあり方を考えている人,教職について壁にぶつかっている人のうち,自分が「壊れてもよい」覚悟のある人に読んでもらえれば…
今回取り上げる議論が巻き起こった記事は↓.
- 「見捨てる」「見捨てない」という子どもへの見方(http://f-sekiya2005.cocolog-nifty.com/novel_miyagitani/2012/02/post-bc44.html)
- 「退職教師」様へのご質問です!(http://f-sekiya2005.cocolog-nifty.com/novel_miyagitani/2012/02/post-0ef6.html)
- ひどい教育環境をお知らせいただき,ありがとうございました(http://f-sekiya2005.cocolog-nifty.com/novel_miyagitani/2012/02/post-0034.html)
始まりの記事は,学び合いという一つの手法がうまく機能していないときの弊害について
問題提起をするようなかたちのものでした.
これにひとりの読者(退職教師さん)が付けたコメントに端を発して,学校環境のことと,
自習にせざる終えない現実について話が進められています.
(最後の記事に対する,退職教師さんからのコメントはこの記事の執筆時点ではないので,
この後さらなる進展があるのか,どうか.)
学び合いのこととか,学校環境のこととか,現実のこととかの細かい内容についても,
考えるところはありますが,
しかし,こんな問題はすぐ改善できますよ。というblogの筆者kurazohさんによってもやや指摘されているところについて取り上げます.
なぜ,改善のための努力をせずに,退職されてしまったのですか???
PDCAサイクルが機能しないのは,行動力がないためなのでしょうかね。
このひどさは,以前に記事にした「水俣病」のときの企業,行政,住民などと同じ図式ですね。
一番弱い立場,子どもが犠牲になる。
退職教師さんのコメントの折々には,どうもあきらめ感とかがんばってるよ感(現状満足感)
が感じられます.(本当にそう思われているかは分かりませんが…)
「自分たちはこんな過酷な環境の中でこんなに頑張っているのに,非難されるのは
おかしい」とでも言いたげな気がします.
心労がたまって採用からときをあまり経たずして教壇を去って行く教員も多いといいますし,
確かに過酷な現場なのかもしれません.
上に意見を言いにくい,通らないという体制の問題もあるのかもしれません.
「そんな環境の中でも自分は頑張っているのに…」と思いたくなる気持ちも分からないでも
ないですが,結局,それは何の解決にもならないばかりか,現状を悪化させるだけと思います.
何かのせいにして,できない理由づけをするのは簡単です.
限られた予算と人で教育は為されている(これの改善を求めるのも一つだが…)のですから,
公立学校の教員である以上,その中で何とかする工夫をすべきではなかろうかと思います.
その上で,環境の改善も求めるという形が必要なのではないでしょうか.
クレクレいうのは,赤ん坊でもできることです.
教職公務員として,それなりの身分・収入が保障されているのですからもうちょっと考えた
方がいいですよね.
と,自戒の意味も込めて.
取り上げていただいてありがとうございました。
返信削除思わず引いてしまいそうな「紹介文」まで載せていただいて・・・。
権利の主張ばっかりで義務を果たさない。
こういう人を育ててきたのは、そういう人たちなんですね。
> kurazohさま
削除ご覧いただき,コメントいただきありがとうございます.
「本物の覚悟」,「壊れてもよい」などというと確かに思わず
引いてしまいそうですが,
気楽にやって成果の出るような性質のものではないと思うので,
「覚悟」というと大げさな気もしますが,そういうものを
持っているべきだろうと思っております.
社会がわがままな人だらけにならない様に努力せねばと
思う次第です.
記事を拝読しました。確かに、大事なことだと思います。
返信削除>教員ブログ*教育インフォさま
削除コメントありがとうございます。
ただ,超過勤務等の実態は確かにあるようなので,
このあたりは金がない金がないではなく,国,地方自治体が
責任を持って解決を実行していくべきことではあると思います。